中国の属国となった馬鹿共が今更のように愚痴を言う! 「東アジアが19世紀末に退行している」などと他人事の論評で失笑を買う! 朝鮮半島だけが退行している事実を直視せずに現実逃避!








 

袁世凱は脱清自主路線の求心点である高宗(コジョン)を昏君(愚かな君主)と罵倒し、廃位させて朝鮮を植民地にしようとした。ドイツ・米国・フランスなど他国からの借款導入を防ぎ、ただ自国の借款で朝鮮の財政を延命させることにした。

内政と外交に干渉し、各種利権を独占するためだった。清の商人に軍艦を利用した高麗人参の密輸を促し、経済と通商の秩序を揺るがした。摘発された清の商人は暴徒に急変し、仁川(インチョン)海関を襲撃した。THAAD報復は何でもないことだ。



120年前にもこの小国をめぐる強大国の利害関係は複雑だった。中国は韓国が属国だとして米国との修交を妨害した。初代駐米公使の朴定陽(パク・チョンヤン)が苦難の末、米国の艦艇に乗ってワシントンに向かう時、袁世凱は奇怪な原則を通知した。駐在国に行けば先に清の公使館に知らせた後、清の公使とともに駐在国の外務省に訪問し、外交会合では清の公使の下の席に座り、問題が発生すれば清の公使と合意して処理しろという屈辱的な命令だった。


高宗はこれを無視するよう朴定陽に訓令した。朴定陽が清の公使を排除してグロバー・クリーブランド米大統領に信任状を提出すると、袁世凱は処罰を要求した。高宗は彼を国内に召還したが、形式的に処罰した後、また重用した。高宗の反清主権守護意志を確認した米国人顧問官O.N.デニーは『清韓論』を書き、初めて朝鮮の国際的地位を独立国と規定した。

袁世凱を「不当で犯罪性が濃厚であり残酷で陰謀をする者」と糾弾し、清の政府に召還を促した。デニーは「英国もビルマ問題で清に朝貢したことがあるが、主権にいかなる損傷もなかった」とし、朝貢国の朝鮮が完全な独立国家であることを擁護した。清韓論は米国議会でも発表され、大きな反響を呼んだ。日本メディアは「洞察力があり理論的な卓越性がある内容」と高く評価した。

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