日韓併合時代の真実――日本と朝鮮が手を取り合って生きた時代

半島文化など、奪っていない事が
明確に分かります。

日本語を学びたいとの事で、祖父は
ハーモニカを吹きながら、みなで
日本語の歌を歌って勉強したと
言ってました。

創業三年の写真もありますが、
人も増え、虐待など無かった事を
証明するように、誰一人として顔などに
傷も無ければ、痩せてガリガリな人も
いません。

製品の生糸に、ノミやシラミ、抜け毛が
混入しないように、毎朝 櫛で髪の毛を
解いて、髪に椿油を塗っていたそうです。

お金になるからと、おもしろがって
残業をしたそうですが、
糸に汗が付着すると黄色く変色するので、
仕事をやめさせては入浴をさせたそうです。

人を大切にしていたそうです。

紡績工場なので、冬の最中には、
労働者の家族で病気の人を招いて、
お湯を利用したお風呂で湯治をさせて
休ませたりしたそうです。

そんな事もあり、
敗戦直後のロシア侵攻時に脱出する時には、
この男性従業員達と、女工さん達の父親と
男兄弟が総出で見つからないように
箱に詰めて、三十八度線を越えさせてくれ、
釜山港まで行けるように、乗り合いの
トラックまで手配して下さったそうです。

この時に、ソウルまで来て買い出しを
していて、平壌へ戻れなくなった人と、
その後もハガキのやり取りをしていました。

保守系の方でも、
暴力などがあったと言う人がいますが、
肉体労働の荒くれ者が集まる世界なら
ケンカはあったと思いますが、
こうしてこの写真を見れば、
無用な暴力など無かった事は分かる筈です。

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