「日本人が現れた瞬間、戦地が停戦した」世界最強の 傭兵を戦意喪失させ、日本軍の強さと優しさに敵兵までもが涙した【報道されない真実】

元グルカ兵(ネパール人)の証言

我々は世界最強の傭兵だ。

第二次大戦で英軍の傭兵の時、

マレー軍を3時間で撃破した。

インド軍は1日で降参させた。

だが、日本の正規軍との戦いは

過酷で一週間不眠不休で戦わされ、

我々も半数以上が戦死した。

これだけの死闘は初めてで、

勇敢な敵軍を尊敬したのはこの時

だけだった。

玉砕した日本軍の所に行ってさらに

驚いた。

日本軍は貧弱な武器なうえ食料も、

わずかな米しかなく、日本軍の死体

はみんなやせ細っていた。

戦友が死んだ時には泣かなかったが、

敵である死んだ日本人を見て皆泣いた。

停戦の訳

インドで傭兵としてパキスタン軍と

対峙してた時、遠くから歌が

聞こえてきた。

知らない言葉の歌だったが

味方じゃないことは確かなので

銃をそちらに向けたとき、

上官に殴り飛ばされた。

何がなんだかわからなかったが

不思議なことに、パキスタン側

でも銃声がやんでいた。

歌声の主は数人の年寄りで、

われわれに気づかないのか旗を

持って一列で歩いてきていた。

われわれ側もパキスタン側も

その数人のお年寄りが通り過ぎて

見えたくなるまで一発の銃弾も

発射しなかった。

結局その日から2日間は戦闘は

再開されなかった。

停戦命令も出ていないのに

どうして戦闘がやんだのか

わからずに、上官に聞きに言った。

その年寄りたちが歌っていたのは

日本の軍歌で持っていた旗は

日の丸だということを聞いた。

その話を聞いてその夜は泣いた。


ものすごく泣いた。

その年寄りたちは第二次世界大戦

で死んだ戦友を弔いに来ていた

のだと知った。

こんな危険地帯なのに、

第二次世界大戦から何年もたって

いるのに、戦友を弔うために

こんなところまで来てくれる人

たちがいることに涙が出た。

あとから知ったが、パキスタン側も

それが日本人でかつてインド

(パキスタン)独立のために

イギリス軍と戦った人たちだと

知って敬意を表して戦闘を中断

したそうだ。

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