【阪神教育事件】GHQが『戦後唯一の非常事態宣言』を布告した在日朝鮮人と日本共産党による大規模テロ事件

事件の概要

大阪府
1948年4月23日9時、大阪府大阪城前の大手前公園で、
朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催された。
集会には在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余が集結した。

16人の代表が選出され、大阪府庁舎で大阪府府知事との交渉を行うことになった。

12時30分、大阪府庁知事室において、副知事(知事は当日不在だった)と
朝鮮人代表者16人との交渉が始まったが、合意には至らなかった。

代表者はしばしば威圧的、脅迫的な言動を行った。

15時、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中から、
シュプレヒコールが起こった。

50人余の青年が行動隊を編成し、スクラムを組んで大阪府庁前の阻止線を
組織的な暴力を駆使して突破した。

15時30分、行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など
7000人余も大阪府庁に暴力で突入し、3階までの廊下を暴力で占拠した。

副知事は警察官の誘導により、戦時中に作られていた地下道を通って脱出した。

17時ごろ、群衆は知事室になだれ込み、ドアや調度品を破壊するといったテロ活動をした。

日本共産党大阪地方委員会に派遣されていた増山太助は、
川上貫一衆議院議員とともに知事室に駆けつけたが、どうにもできなかった。

夜、大阪城周辺の各所で在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人が
篝火を焚いた。朝連は、川上貫一を代表として交渉の場を作ろうとしたが、
アメリカ軍や武装警官が到着した。

その後、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らは、
武装警官隊と乱闘となり、在日朝鮮人のうち1人が死亡、20人が負傷した。

警官側の負傷者は、それを上回る31人だった。179人が騒擾罪で検挙された。

4月25日、朝連や日本人約300人が大阪南警察署に押しかけ、
逮捕者の釈放を要求、脅迫した。
警官隊は、約300人に向けて威嚇射撃を行い追い返した。

次ページに続きます。

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