『日本人に期待するのは止めだ』と韓国高官が”露骨なSOS”を出してきた模様。なりふり構わず金をたかる

従って帝国主義時代に関する日本の右傾的歴史観は

変わらないだろう。日本は過去の歴史を忘却したのではなく、

本心では神国の栄光ある歴史と見ており、

韓国の植民支配に関する反省と謝罪は真正性がない

通過儀礼に終わる。

日本が過去の歴史を反省するということは、

自らの歴史とアイデンティティを否定することで、

これは日本の本性と世界観の限界の向こう側にあることを

私たちは見抜いた方が良い。

二番目、日本人の倫理観だ。

1899年、「武士道とは何か(Bushido、the Soul of Japan)」を

執筆した新渡戸稲造は、西洋法学者が日本の学校では

宗教教育がなく、学生たちに道徳教育ができない問題点を

指摘したことを契機に自身に善悪の観念を悟らせたのが

武士道であり、封建制度と武士道について知らずに

現代日本の道徳観念は理解できない事実を悟ったと

序文で明らかにしている。

「菊と刀」の著者、ルース・ベネディクトは、

日本社会は絶対者の神の前に立つ人間の罪の文化ではなく、

贖罪意識のない恥の文化と指摘する。

恥の文化は道徳の基本体系を形成する原動力が罪の自覚ではなく

恥辱感であり、恥をまぬがれることが先行する。

このような日本的な右傾性と道徳律の伝統は、

人類共通の価値を幅広く共有できない閉鎖性に照らし、

過去の歴史に対する日本の真の謝罪を期待するのは

木によって魚を求めるようなものだ。

日本との過去の歴史葛藤は一日にして解決できず、

長久な時間が必要とされる課題と見るならば、

私たちが韓日関係の再設定について冷静と度量の広さがある

接近が望ましいと考えられる。

次ページに続きます。

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