日帝による韓国人強制連行写真。この一枚に世界が驚愕の矛盾に気づく 世界が呆れかえって嘲笑してしまう事態に




>安全行政部国家記録院が三一節(独立運動記念日)を迎え、日帝強制占領期当時の写真を公開した。
>写真の中には当時の日本人警察、タラワ島に連れて行かれる韓国人労働者の姿、学徒補給隊動員の姿などが見られる。

「当時の日本人警察、タラワ島に連れて行かれる韓国人労働者の姿」というのは、次の写真のこと。

しかし、この写真の後ろの方で、迷彩ヘルメットをかぶって迷彩服を

着ている長身の兵士たちは、どう見ても日本兵には見えない。

これは米兵たちだろう。

後ろの迷彩ヘルメットと迷彩服の兵士たちの中でも、特に写真の左端に

写っている長身で髭を生やした兵士は、左腕に【MP】の腕章まで

付けている。

軍隊で【MP】といえば「military police」(憲兵=兵隊を取締る軍事

警察)のことだ。

日本軍にも憲兵は居たが、その腕章は「憲兵」 もしくは「憲兵・MP」

併記が一般的だったようだ。

日本の憲兵

日本の憲兵の腕章

韓国の「国家記録院」提供の「タラワ島に連れて行かれる韓国人労働者」

という写真の後ろの方に写っている迷彩ヘルメットと迷彩服を着て、

長身で髭もじゃの兵士たちは、誰がどう見ても日本兵ではなく、米兵だ。

そして、手前に写っている東洋人たちは、軍服を着ていないので

日本軍将兵ではないので、日本人労務者か朝鮮人労務者のどちらかだろう。

「タラワの戦い」では、2,600の日本軍将兵の他、1,000の日本人労働者

と1,200の朝鮮人労働者が居た。

写真手前の担架を運んでいる人たちは、『タラワ島の戦い』で日本軍将兵が

玉砕した後に、保護された労務者たちだと考えられる。 

いずれにせよ、この写真を「タラワ島に連れて行かれる韓国人労働者」

とするのは、明らかに歴史偽造だ。

韓国は、国家ぐるみで歴史を偽造し、国家ぐるみで日本の仏像を盗む。

念のため事実を説明しよう。

いわゆる「朝鮮人強制連行」は、一切なかった。

「徴用」は確かにあったが、「強制」ではなく、「国民の義務」であり、

日本人(内地人)や台湾人には1939年から終戦までの6年間適用したのに

対し、朝鮮人には1944年9月から1945年3月までのたった6ヶ月間しか

適用しなかった。

炭鉱や工場などで重労働をさせられた人数は、朝鮮人よりも日本人の方が

遥かに多かった。

命令で泣く泣く朝鮮に赴任して行った日本人の方が、命令で日本に赴任した

朝鮮人よりも遥かに多かった。

そのような多くの日本人を「強制連行」とは言わずに、わずかな朝鮮人だけ

を「強制連行」と呼ぶことはあってはならない。

徴用令どころか日本人には徴兵令が多く出された。

一方、多くの朝鮮人が率先して日本軍に志願していた事実もある。
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旧 日 本 帝 国 陸 軍 特 別 志 願 兵 の 朝 鮮 人 志 願 状 況

年度        採用数      応募者      倍率

昭和一三年    406       2946    7.7
昭和一四年    613      12348    20.1
昭和一五年    3060     84443    27・6
昭和一六年    3208      144743   54.1
昭和一七年    4077     254273   62.4

(引用「日韓共鳴二千年史」名越二荒乃助編著P四三六、四四〇)
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ちなみに、朴槿恵(パク・クネ)韓国大統領の父親の朴正煕(パク・チョンヒ)元韓国大統領も、大日本帝国陸軍将校だった。

満州国軍見習士官時代の朴正煕

その朴正煕大統領は、次のとおり述べ、日本の朝鮮統治を高く評価していた。
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日本の朝鮮統治はそう悪かったとは思わない。 
自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに自分を学校に行かせてくれた。
すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。 
さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。 
卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。 
日本の教育は公平だったと思うし、日本のやった政治も私はむしろ評価している。 



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