終戦直後、朝鮮人が日本人にしたこと(具体例)

水島氏

「そうですよね、仰るとおりで、

 つい最近産経新聞で山口組組長の

 インタビューが出ていたが、今、山口組は

 朝鮮・韓国人が多いみたいだが、

 最初の田岡氏は東映の映画なんかにも

 ある。

 『山口組三代目』

 という映画見ると、朝鮮人が暴れている

 のを田岡さんが先頭になって抑える

 みたいな、、」

高山氏

「そんなの山ほどある。

 神戸はあの時、田岡が立ち上がって、

 朝鮮人が駅前を取っちゃった。

 ビルを襲撃して。

 手榴弾まで使ってんだよね。」

但馬氏

「だから日本軍の武器庫からかっぱらって、、」

(激論 編集長)

高山氏

「それを持ってきてるんだけどね。

 ところが東京ではそういう霊岸島一家

 みたいなのがいなかったから、

 有楽町駅前・新橋・渋谷・新宿・

 全部駅前取られちゃった。」

水島氏

「そうですね。そういうことを

 踏まえると、今、例えば新宿見ると

 ほとんど警察も手が届かなくなってる。

 歌舞伎町は前よりもっと凄くなってる。

 別にヤクザが良いって訳じゃないけど、

 日本のヤクザは一応警察とある程度

 折り合いつけることが出来たけど、

 今はコントロールが全く効かない状態を見ると、

 ご指摘の戦後直後にあった事と、今、

 韓流に対する危険というのが非常に

 良く分かる。」

高山氏

「例えば浜松事件の時は、その死傷者

 出して朝鮮人と戦った小野組に対して、

 浜松市の市民から義捐金が出ている。

 『ご苦労さんでした』って。

 それがいいか悪いかは、、(笑)

 それはなんで警察が介入しないの。

 富坂署になんで殴りこみかけられるの。

 それからもっとヒドイのは、

 下山(総裁)事件 。

下山総裁が飛び込み自殺するんだけど。

睾丸破裂があって、、

れは生前に暴行を受けたって

古畑インチキ教授が判定下したが、

あれをやったのが三国人。

あれは東京駅で彼は国鉄の旅客局長で、

列車にここは

『朝鮮人専用』

『台湾人専用』

って書くと、日本人が乗れなかった。

それを止めさせたら、頭来たの(三国人)が、

旅客局長が殴りこみをかけて、袋叩き・

半死半生にした残り傷が、何年後かの

下山事件の時の鑑定を狂わせた。・・・・」

但馬氏

「あと阪神教育事件 ってありましたよね」

高山氏

「おお、そんなの探せば山ほどある」

「で、結局フジテレビ・・・・」

以上

(あと長田区役所襲撃事件とか、

 それこそ数え切れないほどの朝鮮人

 襲撃事件があります)

いくらアメリカに

「奴隷解放の日」

だと言われても、そんなの嘘っぱちだと

知っているのは朝鮮人なのに、

これらの掌返しは理解できませんね。

だって、当時の朝鮮半島の人たちは、

日本の敗戦を聞いて日本人の手を

とって一緒に泣いたんです。

当時は既に日本の恩恵にあずかり、

身も心も日本人になっていた人が

ほとんどだったのです。

(知られざる朝鮮総督府の善政より)

あと、知恵袋で田岡一雄氏の証言、

「被害者ヅラしている朝鮮人」

が当時どんなだったか、

分かりやすいので引用します。

「田岡一雄自伝 電撃篇」

(田岡一雄 一九七一年初版 徳間書店)

よりの引用

<その日のうちに神戸は修羅場と

 変貌した。

 敗戦の報に茫然自失する市民とは

 対照的に、これまで過酷な労働で

 軍部から抑圧されてきた第三国人

 たちは欣喜雀躍とし、略奪、報復

 の火蓋をきったのである。

 その日の午後七時。

 徒党を組んだ三国人は国鉄深川駅

 構内の貨車を襲って配給物資を強奪。

 これを皮切りに市内随所で襲撃略奪

 事件を起こし、婦女子を暴行し、

 わがもの顔に跳梁しはじめた。

 終戦当時、国内には二百万以上の

 三国人がいたが、とくに兵庫に多く

 昭和一八年に一三万五千人、

 四八都道府県の七%強を占め、大阪、

 東京につぐ三位という勢力をもっていた。
 略)

三国人たちは闇市を掌握して巨大な

利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と

焦土の神戸の街をのし歩いた。

通りすがりの通行人の目つきが

気に食わないといっては難くせをつけ

半殺しにし、 無銭飲食をし、白昼の

路上で見境なく集団で婦女子を暴行する。

善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。

彼ら不良三国人は旧日本軍の飛行服を

好んで身につけていた。

袖に腕章をつけ、半長靴をはき、

純白の絹のマフラーを首にまきつけ、

肩で風を切って町をのし歩いた。

腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた

鉄パイプの凶器を引っさげ、略奪、

暴行をほしいままにした。

警官が駆けつけてきても手も足も出ない。

「俺たちは戦勝国民だ。

 敗戦国の日本人が何をいうか」 

警官は小突き回され、サーベルは

ヘシ曲げられ、 街は暴漢の跳梁に

無警察状態だ。 >p一九〇~十九三

<昭和二〇年八月末、わたしは所用の

 帰途、女の悲鳴をきいた。

 人通りもすくない東山病院の裏手で

 ある。

 白熱の太陽がキナくさい焼跡に

 照りつけていた。

 一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴の

 あがる方角に走った。

 途中で四、五歳の女の子が泣きながら

 夢中で駆け寄ってきた。

「どないしたんや」

「おかあちゃんが、おかあちゃんが」

少女はわたしに泣きじゃくりながら

しがみつく。

この世のものとは思えぬ女の狂気じみた

悲鳴がきこえつづけていた。


「ここにいるんやで。ええな」

私は少女をその場において一目散に

走った。

少女の母親は木立の中で数人の男に

犯されていた。

飛行服の、三国人の男たちだった。

彼らは不適な薄ら笑いで女の手足を

おさえつけ、一人がその上に乗っている。

女は狂ったように絶叫していた。

<汚ねえ・・・・>

うめくと、わたしは遮二無二彼らに

突進していった。>p一九四

<昭和二一年二月、神戸生田署の

 岡政雄巡査部長が彼らに拉致されて

 暴行殺害され、同年四月、須磨署

 佐藤進巡査部長がやはり彼らの手に

 よって射殺された。

 そればかりではない、警察の威信を

 根底からくつがえす不祥事さえもち

 あがった。

 すなわち不良三国人三百余人は

 兵庫警察署を襲撃し、署長はじめ

 幹部署員たちを人質として電話指令

 交換室を占拠したのである。>p二一四

このような蛮行を見てマッカーサーが

「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、

 第三国人なり」

と言ったのは有名な話ですよね。

私も亡き祖母が

「朝鮮はごっつい恐ろしい」

と何度も言ってるのを聞きました。

(その時は、子供ながらに、そういう

 差別は嫌だなぁと思っていた私ですがsweat01)

こういう事を、政治家とか学校の

先生も知らない人が多いんじゃないかな。

日本人は真実を知り、日本全体の名誉挽回・

汚名返上すべき時です!

そうしないと先人にも、

日本の未来を背負う子供達にも申し訳ないと

思いませんか?!

朝鮮人と日本人の隔たりは、

こういう歴史があるからです。

探せば資料がたくさん出てくるのに、

こういうのを一切報道しない

テレビメディアに疑問を感じます。

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