受験前日。空港で『お客様のチケットはキャンセルされています」私(え?)→帰宅すると、瞬間的に、首を力いっぱい・・




正直、納得がいきませんでした。
Aのこともそうですし、至って真面目に授業を受けているにも関わらず
給食ひとつ食べさせてもらえないことが辛くて。
けれど両親は上靴を買いなおしたり、ご近所さんからの評判が悪いことの方が辛かったようです。
ぼろぼろになって帰ってくると、「なんで普通に過ごせないの」と泣いて叩かれました。

兄も転校を機に剣道をやめたのですが、そのせいで激太り。
更に名前がいじりやすいものだったせいで、一転していじめられっ子になりました。
家では「お前のせいだ」と兄になぐられることもしょっちゅうでした。

皆がおかしい、何も悪いことはしていない、おかしい。という気持ちと同時に、
Aがクラスの中心的存在だったこと、教員や母は当時自分の中で絶対の正しさであったこと。
なにより、私自身が本当におかしいのではないか…という不安感から、やがて
「周りがおかしい」ではなく、「私の頭がおかしい」と思うようになりました。
そこからただただいい子になるように頑張って、なんとかクラスの輪になじめるまでになりました。
とはいっても、クラスの女子から「キモいの頂戴!」と手を差し出され、そこに手を置いて、
その触れた手を掲げて男子に「キモいのが移るぞー!」と
追い掛け回す遊びに参加できるようになった、という程度でしたが。

小学四年の頃だったでしょうか、姉歯ショックの関係で大手主義に移行し、
中小土木業は壊滅的被害に追いやられました。
父もまた自営土木の人間だったので、仕事が激減しました。更に日ごろの煙草が祟り、肺がんに。
がんは無事摘出できましたが、肺の半分を切除したため食事もろくに取れず、
体力が衰え土木業は実質不可能に。

この頃父の暴*もエスカレートしてきていた為、母も「別れたい」と口癖のようにぼやいてました。
その度私も「別れて欲しい」と何度も何度も伝えましたが、
「あんたたちのため」「お父さんもかわいそうなの」
と、別れたいと口にする割に決して別れようとはしませんでした。

また、この件で母は復職、CADを扱うためPCが我が家にやってきました。
これが、転機だったと思います。
当時はHTML全盛期、自分で作ったサイトで全世界の人と交流できるインターネットに感動し、
私生活に何一つ楽しいことのなかった私はすぐにのめり込んでいきました。
タイピングも、HTMLも、サーバーレンタルからFFTPの使い方まであっという間に覚えました。
今思うと凄いバイタリティだったなと思います。

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