今回のテーマは、北朝鮮軍の戦車部隊が、
ソウルをめがけ殺到する中で起きた驚愕の
エピソードだ。
市民や自軍兵士を置き去りにし、われ先に
逃げ出した大統領の姿は、2014年の
セウォル号事件の悲劇を思い出させる――。
■当てにならない責任者
2014年、韓国のセウォル号が沈没した際、
避難誘導の任にあたるべき船長が真っ先に逃げました。船長は「船室で待機するように」との船内放送を流しており、
この指示に従って船室にとどまった乗客は
水が船室に流れ込み、出られなくなって
しまいました。
その結果、修学旅行生ら293人の若い命が
失われました。
1950年の朝鮮戦争の際、李承晩大統領は
ラジオで
「国軍が北朝鮮軍をよく防いでいる。落ち着いて行動するように」
という放送を流します。
ソウルに北朝鮮軍が迫っていましたが、
ソウル市民はこの放送を信じて、
避難行動をとりませんでした。
ソウル北郊の住民たちが大挙、ソウルへと避難し、
大砲の音が間近に聞こえた時、ようやく
ソウル市民は「これはタダ事ではない」と
気付きはじめたのです。
この時、李承晩大統領は既にソウルから
脱出していました。
ソウル市民は北朝鮮に対し、「同族」の意識が
強くありました(今でもある)。
同じ民族どうしで、殺し合いなどできる
はずがないと。
民族を分断する戦争というものへの実感が
ほとんどなかったのです。
そのため、市民の多くは大砲の音が間近に
聞こえても、血に飢えた敵軍が迫っていると
理解できなかったのです。
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