■ソウルは3日で地獄と化した
一方、「逃げ遅れれば殺される」と危険を
感じ取ったソウル市民は避難しはじめました。
ソウルから南へ逃れるには漢江を
渡らなければなりません。
市民は漢江大橋に殺到し、付近は大混乱でした。
1950年6月25日、北朝鮮軍が38度線を越えて
侵攻を開始して3日後、北朝鮮軍はソウル市内に
突入します。
韓国軍は北朝鮮軍の南下を食い止めるため、
漢江大橋を爆破する計画を李承晩大統領に
報告します。
ほとんどのソウル市民はまだ、市内から避難
していません。
橋を爆破するということは彼らを見殺しに
するということです。
李承晩はそれをわかっていながら、
橋の爆破を許可しました。
午前2時30分、夜中でしたが漢江大橋の
付近に、押すな押すなと市民が詰めかけて
いました。
軍が市民を制止しようと試みましたが
現場はパニック状態でもはや統制不可能でした。
約4000名の市民が橋の上を徒歩で
渡っている最中、橋は爆破されました。
橋の上にいた市民約500~800名が
この爆破で死にました。
漢江北岸には多くの市民が取り残されました。
この時、市民は自分たちが政府に
見捨てられたのだと実感しました。
政府が見捨てたのは市民だけではありません。
韓国軍の数千人に及ぶ部隊も、まだ
取り残されていました。
彼ら軍人は1000両にも及ぶ車両や
おびただしい武器を持っていましたが
北朝鮮軍にそれらを接収された上、
殺されました。
市民は警官、役人、地主などから順番に、
北朝鮮軍に殺されていきました。
北朝鮮軍が軍事侵攻をしてからわずか3日、
ソウルは地獄と変わり果ててしまいます。
3日前まで、こんなことが起こるとは、
ソウル市民は誰も想像しなかったでしょう。
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