【李承晩】67年前に橋上の市民を爆破した韓国大統領

■ソウルは3日で地獄と化した

一方、「逃げ遅れれば殺される」と危険を

感じ取ったソウル市民は避難しはじめました。

ソウルから南へ逃れるには漢江を

渡らなければなりません。

市民は漢江大橋に殺到し、付近は大混乱でした。

1950年6月25日、北朝鮮軍が38度線を越えて

侵攻を開始して3日後、北朝鮮軍はソウル市内に

突入します。

韓国軍は北朝鮮軍の南下を食い止めるため、

漢江大橋を爆破する計画を李承晩大統領に

報告します。

ほとんどのソウル市民はまだ、市内から避難

していません。

橋を爆破するということは彼らを見殺しに

するということです。

李承晩はそれをわかっていながら、

橋の爆破を許可しました。

午前2時30分、夜中でしたが漢江大橋の

付近に、押すな押すなと市民が詰めかけて

いました。

軍が市民を制止しようと試みましたが

現場はパニック状態でもはや統制不可能でした。

約4000名の市民が橋の上を徒歩で

渡っている最中、橋は爆破されました。

橋の上にいた市民約500~800名が

この爆破で死にました。

漢江北岸には多くの市民が取り残されました。

この時、市民は自分たちが政府に

見捨てられたのだと実感しました。

政府が見捨てたのは市民だけではありません。

韓国軍の数千人に及ぶ部隊も、まだ

取り残されていました。

彼ら軍人は1000両にも及ぶ車両や

おびただしい武器を持っていましたが

北朝鮮軍にそれらを接収された上、

殺されました。

市民は警官、役人、地主などから順番に、

北朝鮮軍に殺されていきました。

北朝鮮軍が軍事侵攻をしてからわずか3日、

ソウルは地獄と変わり果ててしまいます。

3日前まで、こんなことが起こるとは、

ソウル市民は誰も想像しなかったでしょう。

次ページに続きます。

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