日統前の朝鮮時代の貢女の実態を見た韓国人が凍りつく、日本がいなければ本当に我々はどうなっていたんだ!!








 

■自害・早婚で抵抗することも

高麗時代の元宗15年(1274年)、

元が140人の婦女を連行したのを皮切りに、

忠烈王・恭愍王代に元に対し献上した貢女は

170人以上、44回に上った。

朝鮮王朝時代にも、太宗から孝宗の時代にかけて、

明・清に対し9回にわたり146人が献上された。

学界では、中国の高官が私的に連れて行った

ケースを合わせると、数千人に上ると推定している。

中国から、貢女を選ぶ「採紅使」が訪れると、

朝廷では貢女選抜機関を臨時に設置し、

巡察使が各地を物色して回った。

だが、民衆の抵抗は激しかった。

孝宗の時代、慶尚道の鄭煌(チョン・ファン)

という人物は、娘が貢女候補になったことを

知るや、娘の顔に薬を塗って傷を付けた。

また、娘を出家させるケースもあった。

高麗時代には、乳飲み子を乳母が抱いて

嫁がせることまであった。

そのため朝鮮王朝時代には、世宗が

「12歳以下の女子については婚姻を禁ずる」

という法令を公布しなければならないほどだった。

朝鮮王朝時代の太宗8年4月、各地から

処女30人が選ばれ、ソウルに移送された。

父母を亡くして3年以内の女性や、

息子がいない家の一人娘を除いた7人が、

景福宮での最終審査に臨んだ。

しかし中国の使臣は「美しい女がいない」

として官吏を棒で打とうとした。

娘たちも指名を避けようと、体に障害が

あるかのように口をゆがめたり、

足を引きずったりした。

最終的に、娘たちの父親は全員罷免されたり、

流刑に処されたりした。

同年7月、再び選抜が始まった。

太宗は「処女を隠した者、針灸を施した者、

髪を切ったり薬を塗ったりした者など、

選抜から免れようとした者」について、

厳罰に処するという号令を下した。

 
次ページに続きます。



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コメント

  1. より:

    陸続きって怖いわ