【世界でおきていること】ロヒンギャ問題とは何か:民主化後のミャンマーで変わったこと、変わらないこと

ともあれ、ロヒンギャなど少数民族への弾圧は、
1988年に再びクーデタで権力を握った軍事政権のもとで、
一気に加速。軍事政権は「ビルマ化」政策を推し進め、
特に山岳地帯の少数民族を排除しながら、
ビルマ人の移住を奨励しました。
弾圧の矛先はロヒンギャにも向かい、1990年代初頭には
25万人以上のロヒンギャがバングラデシュに脱出。
現在でもバングラデシュでは、公設の難民キャンプだけで、
約3万人のロヒンギャがいるとみられます。

しかし、これによってバングラデシュとミャンマーの
双方の出入国管理が厳格化され、陸路での逃亡が
困難になるなか、多くのロヒンギャはボートに乗って
ベンガル湾へと漕ぎ出し始めました。
ところが、人が何かを求める際に、そこに利益を見出す
者が現れるのは人の世の常で、国外に避難しようとする
ロヒンギャたちは、相次いで悪質な難民斡旋業者に
引っかかることになったのです。

この手の業者はシリアやソマリアの周辺でも多く確認
されていますが、ロヒンギャの場合、人身取引業者は
タイやマレーシアなどを拠点に活動しています。
そのなかには、避難先のロヒンギャ男性と結婚することを
条件にマレーシアに売られてきた少女も多く、
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は2015年の
報告書で、マレーシアだけで120人の子どもの花嫁が
いると報告していますが、そのうち何人が人身取引の
犠牲者かは不明です。

「 ロヒンギャなど『いない』」

深刻化する人道危機に、当初周辺国は無関心を装い、
漂着したロヒンギャを本国に送還するなどの措置を
取っていました。

「母国で迫害を受け、国外への逃亡を余儀なくされた人々」
の保護を定めた難民条約を批准している東南アジアの国は、
カンボジアとフィリピンだけ。バングラデシュやインドも
非加盟です。
つまり、これらの国に難民を保護しなければならない
法的義務はないのです。

次ページに続きます。

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