米紙ワシントン・ポストなどによると、
スタニスラフ・ペトロフ中佐(当時)は
83年9月26日夜、米軍の核攻撃を
警戒する任務に就いていた際、5発の
ミサイルが発射されたとの警報を確認した。
しかし、同氏は人工衛星監視システムの
誤作動の可能性が「50%ある」と判断。
規定通りに上官へ報告せず、結果的に
報復攻撃を防いだ。
直前の同年9月1日には、ソ連軍が
領空侵犯した大韓航空機を撃墜。
東西間の緊張が高まっており、
ペトロフ氏が
「米ミサイル発射」
を報告すれば、全面核戦争に発展する
可能性があったとされる。
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