米英軍が自衛隊を問い詰めた『お前らイラク人に何をしたんだ?』マスコミが決して伝えない自衛隊の真の姿。自衛隊への地元の大量デモ発生に、米英軍は混乱した。

その間、婦女暴行、脱走兵、

無銭飲食といった非行は一切

なかったという。

また、ひとりの犠牲者を出すことも

なく、一発の銃弾を撃つこともなく、

撤収を完了した。

さらに、気温が40℃を超える中、

制服姿で、現地の議会や部族の長

などに、今やってもらいたいことは

何かを尋ねてまわり、すべての

要望を聞きだし、確実に実行した

という。

これによって、イラク人は

「日本の陸上自衛隊はイラクの

 人道復興支援のために来ている」

ということを確信した。

陸上自衛隊は現地の人々の信用を

勝ち得たのであります。

道路を直すときにも、

それを見ているイラク人に

運転を教え、イラク人と共に

作業を行いました。

そうすることで、イラク人は

日当をもらいながら、建設業に

おけるノウハウを得ることが

でき、自衛隊が撤収した後も

働くことができる。

同じことは、他にも病院や学校

などで行われ、地元の人たちに

とても感謝されているという。

以上のような活動は別にイラク

でだけでなく、過去に自衛隊が

派遣された地域で、必ず自衛隊は

現地のインフラ復興等を自衛隊

だけで行わず、現地の人を雇って

行うのだという。

これは道路や水道、電気等の

インフラの復興整備を現地人を

雇って共に行う事で、地元に雇用

を生み出すと共に、自衛隊が去った

後でも現地の人の力でインフラを

維持し、あるいは国の復興発展に

必要不可欠なインフラの建設整備

ができるよう技術を伝え教えるのが

目的だという。

なので、自衛隊が任務を完了し現地

を引き上げる際には必ず

「ニホンのセンセイ、

 どうか帰らないで!」

と引き止められたのだそうです。


あと、イラクでは赴く前に、陸自

の戦史研鑽室で戦前の日本軍が

大陸で行った現地の施政法や異郷

の現地民との交流訓などを紐解いて、

日本とまったく違うイスラム教の

宗教と文化圏での行動マニュアルを

作って参考にしたとか。

そして、現地の文化慣習を優先する

やり方は成功し、そうした努力も

日本が一人の犠牲も事件も起こさず

イラクでの任務を無事に成し得た

一因だったといいますw

ちなみにその日本が作った現地住人

との付き合い方マニュアルは、

同じように派遣されていた

オランダ軍やイギリス軍、はたまた

米軍まで欲しがってコピーして

いったという。

しかし、そうした事前の用意以外

でも日本人らしい細やかな気配りが、

イラクの人々にも通じたのは間違い

ないだろう。

例えば

『スーパーうぐいす嬢作戦w』

などは良い例だろう。

「スーパーうぐいす嬢作戦」

とは、選挙活動のうぐいす嬢を

捩ったもので、車両で移動する際に

市民を見かけたら、自衛隊員から

手を振るようにしたものである。

この作戦の成果は絶大で、自衛隊の

車両が通るときには子供達が自分

から手を振るようになった。

さらに車列を組む為に車道に進入

する際にも、地元の車両に対して

欧米のように機銃等ではなく、

手を使って合図を送った。

これらの努力は全て、ヒゲの隊長と

親しまれた佐藤隊長が地元住民との

友好関係を

「信頼と安全の海」

と現した一言に良く出ていると

思うのですがいかがでしょう?

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