【韓国の反応】韓国人「ニューヨークの電光掲示板広告『軍艦島は地獄島』で韓国が使っていた写真は『捏造』である」

 「父親は石炭マンとして、
 他の地方から軍艦島に入って来たが、
 生活レベルが完全に異なっていました。
 当時はまだテレビが本格的に普及する前だったが、
 軍艦島は、ほぼすべての家庭にテレビはもちろんのこと、
 洗濯機や冷蔵庫もありました。仕事は大変だったが、
 父親の給与は、他のところよりもはるかに
 高かったことを覚えています。商店街はもちろんのこと、
 パチンコなどの娯楽施設も十分にありました。
 併せて1957年に売春防止法が施行される前までは、
 『遊郭』がありました。父親の話によると、
 軍艦島には3カ所の遊郭があり、

 そのうちの一つは朝鮮人専用でした。」軍艦島を10年以上研究し、

元島民らの証言をもとにして「遊郭」の

存在が確認したのが、「軍艦島入門」という本を書いた

「クロサワ」さんだ。

「クロサワ」さんはこう言う。

「大正時代(1912〜1926)には軍艦島には

遊郭が七箇所もあり、そこには女性が20人ほどいました。

一箇所に三人ぐらいの女性がいたわけです。

以降、昭和時代(1927〜1945)になって、

軍艦島には、島の南に位置する南部の商店街に

三箇所の遊郭が存在することになります。

1933年、長崎新聞は、軍艦島の遊郭の一つである

「ホンダ」(本田、売春宿の名称)に関するものとして、

『石炭粉にまみれた鉱夫たちの疲れや心身を

慰労してくれる存在。これ(遊郭の存在)が

端島(軍艦島)のもう一つの断面である。』

というような内容で記事を載せました。

こういった『ホンダ(本田​​)』、

そして『モリモト(森本)』

という遊郭が日本人向けであり、

『ヨシダ(吉田)』という名前の遊郭は朝鮮人専用でした。

ちなみに『ヨシダ(吉田)」で働いていた

女性は全員が朝鮮人女性でした。」

次ページに続きます。

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