はい、日本人の皆さんが言われるように、
日本の支援がなければ不可能な「奇跡」であったと
いうのは正しいです。
ですが、これは必然的なことではありません。
上の文だけ読めば簡単に韓日協定が締結され、
投資も円滑に進んだようにも見えるかもしれませんが、
韓国国内の従北左派勢力の妨害は1965年当時も、
2013年現在も、それほど違いはありませんでした。
漢江の奇跡とは、国を蝕む勢力を制圧し、
強力に計画を推進、適材適所に投資した朴正煕大統領の
リーダーシップと、隣国である日本の大きな援助によって
生じたものであり、一言で言うのなら
「韓日友好が生み出した奇跡」
であると言えます。
参考までに、親日派として知られる金大中元大統領は、
当時、韓日協定を猛烈に反対した左派野党の
スポークスマンであり、漢江の奇跡に代表される、
現在の韓国の血管でもある京釜高速道路の
建設費用について
「その金で麦を買ってくるのが人民のためである」
として、デモを行った人物です。
韓日併合時代の慰安婦
日帝時代に関して、韓国の様々な資料や、
左派の韓国史教科書を見ると、ひとつの共通点があります。
それは刺激的な単語を使用した抗日プロパガンダです。
例えば以下のように…
両班と奴婢に代表されていた朝鮮の身分解放
→日本の植民地奴隷化政策
近代的所有関係が皆無だった朝鮮の土地を
土地調査事業として土地の所有関係を整理し再編
→日帝の土地収奪
土地の改良や技術の導入、コメの生産量を飛躍的に
発展させた産米増殖計画
→日帝の韓国食料供給地化と食糧収奪
高い文盲率を下げるための韓国語・日本語併記の
教科書導入と小学校の増設
→朝鮮語抹殺政策
一般的な表現ではパンチが足りないため、
「奴隷」「収奪」「抹殺」
などの過激な表現が使われています。
事実とは異なるように伝えたことにより、
以下のようなつじつまの合わない内容も
多数出てきてます。
朝鮮語抹殺政策が実施(1931~1945)されたと
言いますが、1943年の調査結果、日本語の解釈、
会話可能な韓国人は全人口の約20%であり、
朝鮮語を抹殺して日本語を強制すること自体が
不可能であったと言えます。
(参照:朝鮮事情1940~1944年版)
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