【歴史】 南京虐殺の報告を受けた天皇「非常に満足」~世界で最も残忍で悪らつな軍隊:日本軍、と韓国メディア

日本はすでに1895年台湾、1910年韓国を

占領、属国化したので日本の満州占領は

予告された手順だった。

「アジアは一人の皇帝の下で団結しなければ

 ならない(八紘一宇)」

という信条で精神武装した日本軍はとてもはやく

広い中国を占領した。

蒋介石総統の中国防衛軍は相手にならなかった

日本軍は殺生と性暴行も辞さなかった。

不幸にも中国軍人だけ殺したのではない。

37年12月、首都ナンキンを占領した。

これに先立って秋に上海戦闘で日本軍は

9万 2千人が殺傷される被害を受けた。

中国軍は20万人以上が戦死したが、

日本軍は復讐心で血が沸いた。

日本軍はまず捕虜にとらえられた9万人の

中国軍を処断した。戦争捕虜に対し拷問や暴行、

処刑を禁止した国際ジュネーブ協約を完全に

無視した蛮行だった。

彼らは捕虜を刃物で刺して殺し、

舌を縛ってぶら下げたり、犬がかみちぎるように

するかと思えば最初からごうごう燃え上がる

火の穴に生きたまま投げこんだ。

また、機関銃で集団虐殺、生きうめばかりか

生きている男の性器を切ることもした。

日本は1929年、捕虜に関するジュネーブ協約

には署名したがそれ以前、1906年協約に

対しては口頭だけで同意した。

とにかく天皇は国際的約束を使い古した

履物を捨てるように捨てたのだ。

日本軍は市内を歩き回って手当たり次第射撃し、

時には埋められる土地を掘らせたあと、

殺して死体を落とした。

また、彼らは中国人の首をはねる大会まで行った。

戦績は本国の新聞に掲載されたので天皇以下

すべての国民が知ることができた。

これは女性たちに対する性暴行の前奏曲だった。

彼らはナンキンの女性8万人を組織的に

強姦した。

その中には子供やおばあさんもいた。

軍人は何年後かに故国に戻っても自分たちが

どれほどこのような行動を楽しんだかを吹聴した。

チームを組んだ日本軍は性暴行する前、

一つのチームは女を横にして服を脱がせて

抑えつけ、他のチームは先に性器の性病検査を

した。

次にくじを引くことをして誰が先に挿入するのか

順序を定めた。

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