日帝の韓国人徴用現場を息子に見せてあげたかった。
彼は訪問前日にインターネットを通じて予約を入れた。
韓国の住所も入力した。
ちょうど韓国で映画『軍艦島』が公開された直後だった。
探訪当日、キム教授は青色の名札を手渡された。
日本人は緑色だった。その日午前9時、軍艦島行きの
クルーズに乗船した人は40人余り、そのうち4人は韓国人だった。
軍艦島は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
世界文化遺産、人類の普遍的価値を認められたという意味だ。
ところがなぜ名札の色で国籍を分けなければならないだろうか。
キム教授は
「予想外だった。管理されているような感じ」
と話した。キム教授が送ってきた写真50余枚にも目を通した。
日本明治時代産業革命の現場を見ることができた。
軍艦島の近くの高島石炭資料館にあるハングル年表の
最後の一節は
「1974年1月15日、端島坑閉山。同年4月20日に
無人島になって今に至る」。
韓国人徴用の事実はどこにもなかった。
2年前の世界遺産登録当時、関連事実を示すようにとする
ユネスコ勧告を履行しないでいる日本だ。
キム教授は
「現場ガイドも日本の近代化だけに触れて、海底1000メートルの
中の朝鮮人の悲しみはただの一行も紹介しなかった」
と伝えた。
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