そして午前9時52分頃、約780人を
乗せて大泊から小樽に向かっていた
泰東丸(880t)が、留萌小平町沖西方25kmの
海上で、浮上した潜水艦の砲撃を受けました。
一発被弾すると、泰東丸の船員たちは
白いシーツを掲げ、潜水艦から見えるように
大きく振ります。「降伏」を意味する白旗でした。
ところが潜水艦は、これを全く無視して砲撃を
続けました。武装していない貨物船の泰東丸は、
なす術もなく標的とされます。
やがて泰東丸は10数発を被弾して、船体が
大きく傾き、船内は血まみれの死体や重傷者が
折り重なりました。
重傷を負っていない者は海に飛び込み、
脱出を図ります。やがて泰東丸は左舷を下に
海中に没しました。667名が死亡したとされます。
事態を知った沿岸の漁師たちは
「こんなことが許されてたまるか」
と、潜水艦の攻撃を受ける恐れがあるにも
かかわらず、海に船を出して救助にあたり、
遺体を回収して弔いました。
これらの事件を引き起こした潜水艦は、
公には「国籍不明」とされています。
しかし、米英軍が戦闘を停止している中、
この海域で作戦活動をしていたのが、
ソ連海軍第一潜水艦隊所属のL-19とL-12で
あったことが、ソ連の記録から判明しています。
しかもウラジオストクに帰還したL-12のコ
ノネンコ艦長は、ソ連で英雄扱いを受けました。
一方、L-19は行方不明・未帰還となっており、
第二号新興丸の攻撃で損傷したことが原因で
ある可能性もあります。
停戦意思を通達している国の船舶に対しての
一方的な攻撃・撃沈、また白旗提示を行なった
船舶への攻撃は、国際法及び戦時国際法に
明らかに違反する行為です。
しかし、ロシア政府はいまだにこの事実を
認めようとはしません。
終戦後、1708人もの日本人が一方的に
「殺戮」された事実は、まず日本人として
記憶に留めるべきことです。
そして、これは日本人に落ち度があったから
ではありません。
犠牲者の方々を悼むとともに、この悲劇から
いま日本人が学ぶべきことは多いと感じます。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170822-00010000-php_r-pol