現代でも南アフリカには格差をはじめとする問題が
山積しており、決して理想郷が実現したわけではありません。
しかし、アパルトヘイト崩壊後の南アフリカでは、
少なくとも民主主義の理念が「多数派の暴政」を
ともなう偏狭な人種主義に傾くことはありませんでした。
そこには、民主主義と多様性を両立させることの価値を
粘り強く国民に語りかけ続けた理想家としての、
そして社会の安定のための現実的な判断を下した
政治家としての、マンデラ氏の功績があったといえます。
南アフリカと異なりミャンマーでは、体制転換を経ても
支配する側(ビルマ人)とされる側(少数民族)の関係は
ひっくり返っておらず、民主化が前者の後者に対する
抑圧を強めた側面があります。
また、軍をはじめとする旧体制派の影響力も、
アパルトヘイト崩壊後の南アフリカより大きいといえます。
このような「条件の悪さ」を勘案すれば、民主化を求め、
後に一国を率いる立場に立ったノーベル平和賞受賞者という
点で共通するとはいえ、マンデラ氏と比較されるのは、
スー・チー氏にとってフェアでないかもしれません。
しかし、ただ「有権者の要求」を実行するだけなら、
少なくとも有能な政治家と呼べないことも確かです。
「国民の代表」という観念は、政府が自らの支持者の
声のみを聞くことや、選挙が個別の利益の切り売りに
終始することを、避けるためにあります。
スー・チー氏は今、活動家としてではなく政治家として、
大きな試練に直面しているといえるでしょう。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20170227-00068117/