そのため、近代以降のどの国でも、ほとんどの人々は
社会的に「一人前」と扱われるために、
「主流」の文化に吸収・同化されていきました
(フランスで各地の少数言語が加速度的に消滅
していったのは、それまでヴェルサイユやパリの周辺で
主に話されていた「フランス語」が、革命後に各地の
小学校で強制されて以降)。
しかし、なかには「国民」としての立場と自らの文化の
両立を目指す人々もありました。
ロヒンギャは、その一つの例といえます。
植民地支配から解放され、ビルマが国家として独立した
ことで、それまでいなかった「ビルマ国民」を
作り出す必要が発生しました。
そのなかで、人口のほぼ7割を占め、その多くが仏教徒で
ビルマ語を話すビルマ人が、暗黙のうちに
「ビルマ国民」のイメージとなったことは、
不思議でありません。
一方、ラカイン州には、アラカン王国時代だけでなく、
19世紀からの英領植民地時代や太平洋戦争前後の時期に、
やはり英国植民地だったベンガル(現バングラデシュ)から、
多くのムスリムが流入していました。
そのため、彼ら自身が強調するほど、「ロヒンギャ」の
ルーツは定かでありません。
しかし、そうであるがゆえに、多数派の仏教徒ビルマ人から
「外国人」と扱われてしまえば、教育や居住など様々な面で
「国民」としての権利は保護されなくなります。
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