【米国VS北朝鮮】米朝衝突、秒読みの裏に「ディープ・ステート」の存在・・・元米将軍も暴露!日本は実験台だった!

■2006年に「影の政府」内部である恐ろしい方針転換が行われた

しかし、肝心のイラクの占領統治が、

異常なテロの頻発で揺らぎ始めた。

実は、フセイン政権の旧バース党

残党だけでなく、イランの精鋭

「革命防衛隊」が入り込み、総力を

挙げてテロを支援していた。

イランにしてみれば、国の東西

(イラクとアフガン)から進駐米軍に

挟まれた格好だから、死に物狂いで

占領を妨害するのも道理である。

他方、「ディープ・ステート/影の政府」に

とって想定外のことが起こった。

それは2000年に大統領に就任した

プーチン&旧KGB軍団の猛反撃である。

彼らは西側金融財閥の代理人をしていた

新興財閥オリガルヒを次々と血祭りに上げ、

奪われたロシア国富を奪還。

その様子をみていた胡錦濤政権の中国も

「反・影の政府」側についたといわれている。

その結果、2005年末までには、彼らの

計画の破綻はほぼ決定的となった。

「ディープ・ステート」は冷戦後の

世界戦略を根底から見直さざるを

えなくなった。

彼らは状況に柔軟に対応するため、戦略を

新たにした。

恐ろしい話だが、状況証拠からすると、

彼らが採択したのは

「中ロを従えるためには世界大戦も

やむなし路線」

だと私は睨んでいる。

そして、今もその方針に従って動いて

いるようだ。

次ページに続きます。

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