「国民の一心でセウォル号が
引き揚げられました。私たちは
ここを離れますが、希望の紐を
緩めません。船体の調査過程で
骨のかけらでも見つかれば、
暖かい場所に移してあげたいです」
16日、木浦(モクポ)新港で未収拾者
の家族らは
「もうセウォル号から離れざるを得ない」
と宣言した。惨事が発生してから
3年7カ月が経った。
家族たちはお辞儀をして別れを
告げた後、セウォル号の冷たい
影のなかで声を上げて泣いた。
見つけられなかった家族への
恋しさと会いたさをあきらめ、
何も持たず帰らねばならない現実
を受け入れるにはつらすぎたのだろう。
同日の記者会見には、木浦新港を
離れる悲痛な心境があふれ出ていた。
会見の途中で檀園高校の
キム・ヨンイン君の母パク・ジョンスン
さんは足の力が抜けて埠頭の地べたに
座り込み、檀園高教師の
ヤン・スンジンさんの妻ユ・ベクヒョン
さんは悲しみを抑えられず顔を覆って
号泣した。
事件以後、珍島(チンド)体育館
(2014年4月16日~11月11日)、
彭木(ペンモク)港
(2014年11月12日~2017年3月31日)、
木浦新港(2017年4月1日~)で1311日
は血のにじむような待機の月日だった。
セウォル号が落とした影は深く暗かった。
「一部の苦々しい視線をわかっていたが、
家族会いたくてあきらめられなかった。
骨のひとかけらでも暖かい所に移して
あげたかった。もうこれ以上捜索は
無理な要求であり、支持してくれた
国民をこれ以上悲しませてはならない
という結論を下した」
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