高麗・朝鮮王朝時代の「貢女」の実態とは
高麗時代から朝鮮王朝時代まで続いた「恥辱」
娘が候補になると、顔に薬を塗って傷を付けることも
「娘が生まれたら秘密にしたまま暮らす。
他人に知られるのが心配で、隣人にも
娘を見せられない。娘を隠していた事実が
発覚すれば、村全体が害を被ることになり、
親族を縛って取り調べ、屈辱を与える。
処女を選ぶ過程でわいろが取り交わされるが、
金がある者は切り抜け、金がない者は
連れて行かれる」
高麗時代、李穀(イ・ゴク)=1298-1351=が
はるか遠くの元の皇帝に差し出した上訴は、
切々としている。
李穀が訴えたのは、ことあるごとに中国に献上
しなければならなかった「人間の献上品」こと
貢女のことだ。
恥辱の歴史は、5世紀初めまでさかのぼる。
高句麗・新羅から中国の北魏に、女子を送った
という記録がある。貢女の献上が最も盛んに
行われたのは、高麗後期から朝鮮王朝時代に
かけてだった。
ソウル大学奎章閣のイ・インスク人文韓国(HK)
事業研究教授は、今月末に出版される
『朝鮮人の海外旅行』(文字の甕社)で、
『高麗史』と『朝鮮王朝実録』を中心に貢女の
残酷な実態をまとめた。
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コメント
陸続きって怖いわ
隣国より弱いってのはこういうことだよなあ。
多分、日本にきている人にも、現代も、続いてて、搾取されてるような…。
美人や、可愛い女性に、今も、昔も、群がってる。
結婚した女性に、限られてるけど…。