(アブドル・アジズは建国の父ですが当時はサウジアラビアが独立国ではなかったので
「サウジ国王」という称号はありませんでした。
確かKing of Hadjaというのが正式名称だと思います。
それとアブドル・アジズのイメージは天下統一を目指した織田信長みたいな「武将」であり、
国王という名称の持つ特権的なニュアンスは彼には当てはまらないと思います)
そして24人の男児を産ませています。
(女児も当然、同じくらい生まれているのですが正確な数は報道されていません。)
この24人は1902年から1943年までの約20年間に生まれた子供たちであり、
彼らの間で王位継承の順位を決めてゆかねばいけないのです。
上述したモハメドはこの孫娘を特別寵愛し、世界を漫遊する際連れて回りました。
このプリンセスはなにひとつ不自由ない暮らしをしたわけです。そして適齢期になったとき
同じサウド家のいとこと「お見合い結婚」をしました。
しかしこの孫娘がちゃんと結婚した相手が居るのに不倫をしたのです。
プリンセスの処刑を命令したのはモハメドその人であるというのが現在の定説に
なっています。
一方、プリンセスの不倫相手に関してはいろいろな「伝説」があり、
どれが事実かわかりません。
ひとつの説は彼女がベイルートに留学した際、知り合った男と関係を持ったという説です。
また別の説では彼女が関係を持った男は海外留学の時ではなくサウジアラビア国内に
居たというストーリーもあります。
さらに彼女は裁判にかけられた際、自ら進んで関係を持ったということを自白したため、
極めて位の高い女性であったにもかかわらずワッハービズムの戒律に従って処刑せざるを
得なくなったという説もあります。
つまり彼女は自ら自白し、死を選ぶことでサウジアラビアの社会に対する抗議をしたのだと
いう解釈です。
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