戦争が終わった後には、咸鏡北道ソンジンに行って、
豆満江を超えた。当時、一緒に川を超えていた友達1人は川に流され、
死ぬのを見守った。 そのように 死線の末に故郷に帰り、
慰安所に連行される前に結婚を約束していた男性と暮らしたが、
男性は程なくしてこの世を去った。
その時から1998年、ナヌムの家に来るまでおばあさんは一人暮らしをしていた。
日本政府から公式謝罪と正当な賠償を受けるのが願いだったおばあさんは、
賠償を受けると、社会に寄付する計画だった。
おばあさんは韓国政府から受け取った賠償金などを集めて美しい財団に1億ウォン、
分かち合いの家に1千万ウォン、某カトリック団体に1億5千万ウォンなどを
寄付している。
また、毎週水曜集会に出て慰安婦の実状を知らせるのに先頭に立った。
遺体安置所は、京畿道 城南市(ソンナムシ)盆唐区(ブンダング)の
チャ病院地下1階特室に 設けられた。
出棺は25日で、葬儀はナヌムの家の追慕公園である。
キムさんの死去で政府に登録された日本軍慰安婦被害者238人のうち、
生存者は37人に減った。
この記事を読んだ韓国人の反応
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コメント
2018-72=1976
韓国人は小学1年生レベルの算数も出来ないのか?
戦後に中国で日本軍相手に性を売る?
1946だよ!昭和21年だよ!
とセルフつっこみ