ミッドウェー海戦
第二次世界大戦中の昭和17年(1942年)
6月5日から7日にかけてミッドウェー島を
めぐって行われた海戦。
同島の攻略をめざす日本海軍をアメリカ海軍が
迎え撃つ形で生起した。
空母機動部隊同士の航空戦の結果、日本海軍が
敗退した。
日本海軍は機動部隊の中核をなしていた航空母艦4隻と
その艦載機を一挙に喪失する損害を被り、
戦争における主導権を失った。
日本側の構想
日本海軍が採用していた 漸減邀撃作戦思想に対し、
かねてから疑問を持っていた山本五十六は、
相当の危険性を承知の上でも、米国に対し戦争で
勝利を収めるためには、積極的な攻勢を進めるしかないと
考えていた。
そのため、戦略的奇襲としてミッドウェー上陸作戦を実施し、
アメリカ空母部隊の誘出を図りこれを捕捉撃滅しようとした。
※ 漸減邀撃作戦思想
太平洋を越え来攻する敵を日本近海で迎撃し、艦隊決戦を
もって米艦隊を撃滅する作戦思想
攻撃側が好きな場所とタイミングで来攻して主導権を
握れる事、強大な産業力に支えられた米海軍に長期戦に
持ち込まれた場合、国力で圧倒的に劣る日本が守勢を採っても
勝ち目がないなど、古くから採用されていた作戦思想だが、
反対する者も多かった。
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