その年の俺は何とか就職が決まって実家を離れていたし、兄家族も実家から離れていたため、相談の結果実家(田舎で小さいながら一軒家だった)は売りに出し、半年後には更地になっていた。
実家が壊される時、兄家族と一緒に見に行ったのだが、メイの「じいちゃんのオウチ、無くなるね」て言って泣き出したのつられて俺もちょっと泣いた。
そしてメイが11歳の時にその事故が起きた。
兄家族の乗る車がトラックと衝突し兄は即死、義姉は3日間意識不明のあと亡くなった。
メイは奇跡的に打撲だけで済んだ。
メイの親族は俺だけになった。
当時、25歳の俺は事故の半年前に勤務先が倒産したため無職。
多くはないが相続した遺産と貯めていた小金で日本一周なんぞをしていた。
兄夫婦の死に絡み、いろいろなゴタゴタがあったが一番の問題はメイのことだった。
無職の若造が引き取って育てるなんてことはできるはずもなく、結局児童養護施設に預けられることになった。
その後、父の知人から誘っていただき零細運送会社の運転手の仕事を始めた。
幸い、メイのいる施設とはそんなに遠くなかったので、できるだけ毎週会いに行くようにしていた。
施設に入ってからのメイは、やはり事故の精神的影響が大きく非常にふさぎがちだったらしい。
それなのに俺が会いに行くとすごいうれしそうにしていた。
だから少しでも励みなれたらと思ってこまめに会いに行くようにしていた。
それが裏目に出るとは思いもしなかった。
もうすぐメイが小学校卒業という時期に、施設から連絡があった。
メイがいじめの対象になっているとのこと、その原因が俺にあるということだ。
メイは俺と会った後はすごく元気になるらしく、そのことが施設にいる他の子供、特にリーダー格の年上の女の子から疎まれるようになったらしい。
基本、この施設にいる子どもたちは保護者がいなかったり、虐待を受けたりで親や親族と会うことのない子供たちだ。
そんな中メイにはいつも親族(俺)が会いに来て楽しそうにしている、なんでお前だけが!となり、いじめの対象となった。
施設職員と今後の話し合いをしたのだが、その時に言われたのがメイと会う回数を極端に減らしてくれとのこと。
他の子たちと差が出ないようにしたいとのことだったが、俺にとっては残されたただ一人の大事な身内だ。
とても了承しがたい。
しかしその方がメイのためになるなら、としぶしぶながら納得。
そのことをメイにも伝えたんだ。
そうしたらメイが突然泣き始めた。
嗚咽しながらこんなようなことを言ったんだ。
「マサトおじさんは私のことキライになったの?お父さんもお母さんも誰もいなくなったのに、マサトおじさんまでいなくなったら一人ぼっちになっちゃう。そんなの嫌だ、それにここにいるのもホントは嫌で嫌でたまらない」
会うときはいつもニコニコしていてわがままも言わずにいたメイだったが、やっぱり相当無理をしていた。当然のことだが。
11歳で突然に親を失ったメイが、たった一年で立ち直れるものか。
ぐしゃぐしゃに泣きながら、でもどこかで遠慮してるのか、いつもならまとわりついて来るのに、この時は俺から少し離れたイスから決して近づいてこようとしなかった。
そんなメイを見て、たまらず俺も泣いた。
そして最近、空想程度に考えていたことを提案した。
「おじさんと一緒に住むか?」
その時には再就職先での仕事も慣れてきたし、まあぶっちゃけお金の問題については相続やら兄の生命保険やらでどうにかなる見通しがあった。あ、保険金についてはもちろんメイが受取人だが弁護士を挟んで俺が後見人となってて、メイの養育費などとしてはある程度融通かきいた。
遊んで暮らせる金じゃないが、なんとかなるかなと思ってたんだ。
そしたらメイが「いいの?マサトおじさんは私のこと邪魔じゃない?嫌いじゃない?ほんとにいいの?」 なんて聞いてくるんだ。
12歳のくせに気を遣いすぎなんだよ。
「当たり前だ!メイのことが嫌いなわけないだろ」って思わず怒鳴った、泣きながら。
あとは二人して泣いてた。
思い出したらいまちょっと涙目。
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