【因果応報】虐待が日常の家だった。兄は殴られ、姉はストーブの上に乗せられ、私は熱湯をかけられた。

母の姉にお金を借りて引っ越し、

父とは離婚成立。

母は私たち3人を抱えながら数百万の

借金を返す生活を余儀なくされた。

朝から夜中まで働き、私も幼いながらも

母が大変なのがわかったので兄弟協力して

家事をやり生活してた。

片親だからといって母は子供に

不憫な思いをさせまいとして運動会の日は

朝3時から起きて場所取りとお弁当作りなど

をしてくれた。


お肉はほとんど食べたことなかったけど、

運動会のときのから揚げとウインナーと

おっきなおにぎりは本当においしかった。

しばらくして私たちも大きくなり、

末っ子の私も中学生になっていた。

そのころ家に父から電話がかかってくる

ようになり、母に金の無心をしていた。

それに腹を立てた私は父から電話が

来るたびに

「どの面下げて電話してくるんだ。死ねよてめえ」

などと罵声をあびせて電話を切ると、

父は母の職場に電話をしてきて

「どういう教育してるんだ」と「金よこせ」

などと迷惑をかけるようになった。

当時、まだ中学生で母に迷惑かけてしまった

自分を責めてると兄が

「母さんとお前たちは俺が守るから」

と慰めてくれた。

父のせいで母は職場を変えざるを得なかった。

私が高校生になったころ、兄が就職で

県外にいってしまい、母と姉と私の生活

バイトしながら家計を助けてやっと

父の借金を返し終わった頃に真っ青な

顔した兄が帰ってきた


どうしたのかと問うと兄の家に一通の

手紙がきたそうだ。

金の無心をする父からだった


兄の引っ越し先を教えてないのに

どうして父が知ることができたのか

当時、個人情報保護法が施行さる前の話

だったので生活保護の受給をしたくて

市役所にきた


父に

「息子さん同じ市に住んでいるので

 息子さんに養ってもらってください」

と市役所の人が勝手に兄の住所を

教えたことがわかった。

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